速読法の定義
 
まず最初に、速読法とはどのような技術であり、またどのような読書読解法なのか、その定義を述べておくことにしましょう。なぜならば、速読法というと、次のような誤解、先入観を持っている人が非常に多いからです。
 
「速読法とは文章を構成している全文字を読まず、斜めに読んだり、キーワードだけを拾って飛ばし読みをするものである。そして味わう要素や十分な理解は多少犠牲にして読むことであり、それでいて大筋は外さない、という読み方である。」
 
これは、違います
 
しかし、これを速読法だと思い込んでいて、このサイトの中で述べられている知識人もいるほどなので、なかなか誤解が消えないのです。こういった概念的な読み方を身に付けることにメリットがある職種の人(評論家など)も、確かにいますが、むしろそうではない人の方が多いでしょう。
 
本サイトで言う速読法とは、そういう省力的・概略把握的な読み方ではなく、
「理解力も内容の把握も全く落とさず、文章の全文字をもれなく読むので、これまでどうように文章を味わうこともできる。それでいて読書スピードを計測してみると格段に速くなっており、読了までの時間が従来の数分の一以下に短縮される
という読み方の技術のことを意味します。
 
こういう技術なら、身につけてもなんのメリットにもならない、と言う人はきわめて少数でしょう。
 
速読法と記憶術の根本的な違い
 
さらに、これまた誤解をしている人が多いのですが、速読法は記憶術ではありません。
 
ですから、速読法の修得によって読んだ文章内容を一字一句、正確に記憶できるようになるのかというと、残念ながらそうはなりません。速読法を訓練する以前から記憶力には相当な自信があって、「一度ザッと目を通したものは、その内容について、ほぼ正確に第三者に伝えられる」という人は、その能力を維持したまま、速読法を修得することができます。
 
一方で、記憶力にあまり自信がない人もいるでしょう。例えば、面白い小説を読んで、誰かからその内容について、次のような尋ねられたどします。
 
「ねぇ、君、その小説、面白かった?で、いったいどんな話しなの?」
その時、首をひねってしまって、
「うーん・・・詳しくは話せないけれど、とにかく面白かったよ。君も読んでみるといいよ。この小説は、お勧め品だよ。」
といった調子でしか、答えられない人がいます。
 
要するに、「面白かった」「楽しく読み終えた」という印象の記憶は残っているのですが、ストーリー展開などに関しては、ほとんど読んだ端から忘れてしまっているわけです。
 
こういう人は、やはりそういう状態で、速読法を修得することになります。要するに、速読法を身につける以前と以後で、その人それぞれが持つ文章内容の味わい方に変化がない、ということです。 


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