頭のよさの4要素
 
これからは、情報処理が速いだけでなく、様々な能力を併せ持った多次元マルチ人間に自己改造できなければ、時代の流れに乗り損なうことは明らかです。そこで、まず「頭がよい」とは、いかなる状態であるのか、それを仮定義しておくことにしましょう。
 
頭のよさの要素を箇条書にまとめると、次のようになると考えられます。
1)大脳の記憶回路に蓄えられている情報量(多いほどよい)。
2)記憶回路に蓄えるために情報を大脳に入れる学習スピード(速いほどよい)。
3)記憶回路に蓄えた情報を、使用するために取り出すスピード(速いほどよい)。
4)取り出した情報を同時使用するチャンネル数(多いほどよい)
 
これらの中でも特に1)が、これまでは「頭のよさ」の最大ポイントであって、「絶対評価」であると、見なされてきました。小学生などの幼い子供が、教師や両親を「頭がよい」と言って尊敬するのは、この1)の理由によるものです。たとえ将来、教師や両親を頭脳的に凌ぐようになる優秀な子供であっても、大脳の記憶回路に蓄積した情報が量的に追い越す時点までは、教師や両親のほうがずっと頭がよいわけです。
 
これからは情報処理スピードが要求される時代
 
これまでの日本が学歴偏重社会で、企業などが新入社員を採用するのに、入試時の偏差値の高い大学の学生に偏って好んで入れていたのは、そういう大学の学生ほど記憶回路の情報量が多く、優秀であると考えられてきたからです。また、親が子供をよい学校へ、評判のよい学習塾へ、予備校へ、と目の色を変えたのは、子供の記憶回路に情報を詰め込んでくれる教師の教育技術、授業技術、授業テクニックに相当な個人差が存在しているからです。
 
ところが、これだけ情報量が増え、また多次元化して氾濫状態になってくると、記憶回路の情報量が多くても、取り出すスピードが速くなくては、使いこなせないことになります。前述3)のポイントが、そうです。多数の有名大学・高校・中学などで入試問題を長文化させて、記憶回路からの情報取り出しのスピードが速くなければ受からないようにしたのは、この3)のポイントを重視するようになった、ということです。
 
また、2)のポイントも、非常に重要です。学習スピードに差があれば、遅い人は速い人に追いつくためには、時間的に何倍も勉強するという、量の面でカバーしなければならないわけです。
 
学習スピードと知識の取りだしスピードは連動する
 
データを集めてみると、学習スピード(速読法の訓練を施すなどの人工的トレーニングをしない、天性の状態で)は最も遅い人と最も速い人で、どうも10倍前後の開きがあるようです。最も速い人が、毎日2時間の勉強をしたとすれば、最も遅い人がこれに追いつくためには、毎日20時間の学習をしなければならない計算になりますから、これは、現実問題として不可能です。
 
追いつけるのは、せいぜい最大3倍までの差でしょう。速い人が毎日3時間の学習をしているとしたら、遅い人は毎日8時間、9時間の学習をして差を埋めるということです。東大のうような偏差値の高い大学に、ある者は「日に2時間しか受験勉強しなくても受かった」と言い、他のある者は「睡眠を削って日に8時間も受験勉強して、それでやっと受かった」と言うような話がでることがあります。
 
あるいは、「3ヶ月の集中的な受験勉強で受かった」という者と同時に「2年間の受験勉強で、やっと受かった」という者もいる、という話も聞きます。このように1日の勉強時間や受験勉強期間に極端な違いがあるのは、こういう理由によるものと考えられます。が、しかし、近日中にこういう話も過去の遺物となるでしょう。
 
2)と3)とは密接に連動しており、学習スピードが遅い者は、学習によって蓄えた情報を取り出すスピードも、概して遅いからです。そういったスロー・テンポの者は、せっかく問題を解ける実力を身につけても、制限時間という壁に阻まれて、全問を解き切れないで、合格点を確保できずに終わるからです。そこで、速読法+基礎学力という《ドッキング》が重要になってきます。


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