イメージ記憶術と反復学習とどっちがやさしい?
 
しかし、ここでもまた、反復学習の方式が生きてくることになります。速読能力をつけておいてから学習に取り組めば、以前紹介したグラフのように、第1ラウンドの学習後、時間的な経過が小さい(従って忘却量が少ない)うちに反復学習を開始することができ、しかも、その回数をこれまで以上に多く行なうことができます。
 
要領の難しい、人工的イメージ方式の記憶術(その難しさの理由は、左脳と同時に、右脳の視覚野を使わなければならないところにあります)を修得するより、このほうが結果的に多くの情報を限られた時間内で身につけられ、大脳の記憶回路に植え付けることができる、という人も多いはずです。
 
イメージを脳裏に描くためには、常日頃から物事をよく意識的に観察していなければなりませんが、大多数の人は(特に論理的な思考において)意識すると、視野を絞り込む条件反射を起こします。すると、映像として網膜に映ってはいるけれども、意識の視野からはみ出してしまい、実際には見ていない、観察しているつもりで観察していない(右脳の視覚野のスイッチがOFFの方向に回されている)、という状態に陥って、イメージ力は貧困になります。
 
この条件反射を外すには、速読法のトレーニングを積むのが実行のしやすさという点で一番です。したがって、人工的イメージ方式の記憶術を身につけるにしろ、記憶術を用いない反復学習で必要な知識・方法を蓄えるにしろ、最初に着手すべきなのが、速読法のマスターであるということになります。
 
記憶術は人類の永遠のテーマ
 
とにかく、何かを学習して、あるいは情報を収集して、それを記憶して忘れないようにする、ということは、時代を問わず必要なことです。どんな形態の未来社会になっても、この部分を全面的にコンピューターに委ねることはありえません。もしそうならば、それは人類が人類であることを放棄して、滅亡してしまうことを意味します。
 
つまり、時代の進歩、文化文明の進歩と共に情報が肥大化・多次元化していく性質を持っている以上は、強固な記憶力を持つこと(記憶術)は、永遠のテーマと言えるでしょう。これは現時点で大まかに言って、
1)反復学習方式で記憶する
2)イメージを用いた人工的な記憶術を採用して記憶する

の、2つの方式に集約されます。
 
そして、1)には《反復学習後の記憶の推移》のグラフでおわかりいただけたように、速読法は極めて有効です。2)の場合、天性の優れたイメージ力を持っている人なら、必ずしも必要ではありませんが、それほどではない人(つまり大多数の人)の場合、イメージ力を強化するための前段階として観察力を鍛えなければなりません。そのためには、論理的思考をしつつ右脳の視覚野も作動させることが必要ですが、そのトレーニング手段としても、やはり速読法は極めて有効なのです。
 
速読法は能力開発の基本OS
 
このように記憶術というのは、たとえるならば「速読法という基本OS(オペレーション・システム)の上に乗ったソフト)と言うことができると思います。最初から記憶術を単独で立ち上げようとしても、「システム・ディスクを入れてください」というエラー・メッセージが表示される(マスターできない)のです。
 
また、同時並行に多次元の情報を扱う(単に受信する場合も、創造的な分野で自分の頭の中で考える場合も共に)ことができるようになるためにも、論理的思考をしつつ右脳のスイッチも入れなければなりませんから、やはり速読法は、極めて有効なトレーニング手段です。
 
多くのスポーツの場合、初心者が「手のことを考えれば足のことが考えられず、ボールを見れば相手や周囲の状況が見えず」という、非常に視野の狭い状態に陥ります。ところが、上手な選手になってきますと、非常に広範囲に神経を行き渡らせていて、集中力が全く落ちていない、むしろ逆に集中力は高まっている、というパラドックス状態を作り出すことができます。
 
しかし、これをパラドックス状態と感じるのは、知的な思考の面では99パーセント以上の人がやれないからで、これまで知的な分野では、「広範囲に神経を集中させる」=「注意が散漫になり、集中力が低下する」でした。この卑近な例として、学生の授業中の内職を考えてください。


戻る  目次  次へ