視幅と識幅、有効視野と無効視野 |
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さて、ページ全体に無意味な黒丸を載せて、文字を出した場合と比較して識別できる範囲が大幅に異なることを実証したことを思い出してください。視野が狭まっても、網膜に映る範囲まで実際に狭くなったわけではありません。喫茶店で相手と熱心に話し初めて、周囲の客の声やBGMが聞こえなくなっても、その音が実際に消滅してしまったわけではなく、単に意識の内部に入り込まないように遮断されたということと同じです。 |
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この意識の中に残る範囲と、現実には存在しているにも関わらず遮断されて意識の外側へ押し出され、ほとんど存在していないに等しい状態になってしまう範囲について、論じることにしましょう。意識の外側のエリアに押し出された情報は、その人の網膜に受動的に映っているというだけの状態で、実際に大脳が情報として利用することができません。存在しているのに、その存在は大脳にとっては無効なのです。そこでこれを、便宜的に無効視野と呼び、それに対して意識の内側にエリアの情報は、その人の意思で活用することができるので有効視野と呼ぶことにします。 |
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右脳型は有効視野が広く、左脳型は狭い |
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右脳型に分類される人は有効視野が広くて、右脳の視覚野が十分で活動しており、左脳型に分類される人は有効視野が狭く、右脳の視覚野もほとんど活動していないのです。意識のエリアの内側に残る情報、外側に押し出される情報、という書き方をしたので、「何をもったいぶって書いているんだろう?ちゃんと“文字”と書けばいいじゃないか!」と思われた方もいるでしょうが、これは文字情報だけに限りません。 |
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迷路で、意識を集中して分岐の可能性などを考えられる範囲の面積なども、含まれます。普通の人だと、まず、スタートとゴールを同時に見ることができませんが、それでも一応、網膜には映って見えているのです。それにも関わらず、見ることができないのは、有効視野の面積が限られているために、どちらかを有効視野の内側に入れると他方がはみ出してしまうからです。 |
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また分岐点に達した時に、分岐していく両方の道を辿ろうとしてできないのも同じ理由で、両者を入れておけるだけのスペース的な余裕が、その人の有効視野にないからです。そして、末広がりに増えていく分岐を頭の中で検討することができずに、結局、行き当たりバッタリで迷路に挑むことになって、延々といつまでも堂々巡りをしていて迷い続けるのです。このような有効視野の個人差は、面積で比較すると10倍から20倍もの開きになっている場合があります。 |
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部分を見て全体を見ない左脳型 |
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さて、常に有効視野を狭めて物を見る習性を持っている人は、ほとんど狭い部分だけを見て全体を見ることはありません。たとえば、円を見る場合だと、円周全体が網膜に映っているにも関わらず、見ているのは、部分の円弧だけです。そこで、想像で頭の中に円をイメージしようとしても、完全な円を描くことはできず、歪んだり、描いていく片端から消えていってしまう事態になります。 |
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また、人の顔でも、目・鼻・口・耳といった細かな部分だけを見て全体の容貌を見ないので(もちろん、網膜には映っているので、本人は見ているつもりです)、スレ違ってからしばらくして容貌を再現しようとしても、できにくくなります。こういう人は夢を見ても、ほとんどがモノクロか、わずか数色の夢で、滅多に総天然色の夢を見ることがありません。目を開けていても見ていないも同然の状態なので、脳の記憶回路に情報として保存されないのです。 |