一流大学にも落ちこぼれ学生が存在する理由 |
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一流大学でもなお、「オールA]というような成績優秀な学生の中には、分速2,000文字から3,000文字をクリアしている学生もいます。またガリ勉でもなく、学生生活をエンジョイするゆとりを持ちながら世界に通じるような画期的な研究もしよう、という欲張りでハイレベルな創造力を目指す場合には、さらにより高い速読の能力が必要です。さて逆に、こういう一流大学でも、平均の半分の分速800文字、というような学生がいます。頑張れば(つまり、人の2倍の受験勉強をすれば)合格しないことはないのですが、入ってからが大変で、授業のハイペースについていかれず、落ちこぼれる可能性が極めて大きいのです。 |
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東大などは日本全国から秀才を集めていると一般的には思われていますが、学生間の上下の能力差が大きいので、落ちこぼれる学生は以外に多いのです。つまり、速読法というのは、難易度の高い学校に入るための、あるいは、入ってからも優秀な成績を取るための必要条件だということです。 |
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速読法が十分条件にならない理由 |
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前の方でも同様の趣旨のことを述べましたが、「速読法というのは、要するに文章を速く読解できるようになる技術であって、勉強を教えるわけではないのだから、速読法を修得したからといって、成績の上昇や難易度の高い学校への合格が約束されるわけではない」、ということです。速読法を修得しても、それを日頃の勉強に役立てなければ、実力がつきませんから、成績も上がりませんし、難易度の高い一流の学校に入ることもできません。「速読法は、読書嫌い・勉強嫌いの生徒には無力」なのです。 |
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さて、当研究会のソフトの読書速度確認文にはいろいろなジャンルがありましたが、文章によって読書速度に開きがあったでしょうか?それとも、全部の文書が、ほぼ同じ程度だったでしょうか?文章はやさしいから速く読めるかというと、そういうものではありません。ジャンルによって数値に1割以上の開きがあった人は、次のように考えてください。 |
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1 |
内容的に難しい文章のほうが1割以上スピードが遅い。 |
これは、そのジャンルに対する基本的な知識とか、学力が不足しているのです。文章の中に理解できないか、思い出すまでに時間のかかる概念が含まれているので、考えてしまう“思考の停滞”が起きて、そのために読書速度が落ちてしまうわけです。速読法を修得しても、それだけでは成績は上昇しない、あるいは難易度の高い学校には合格しない理由は、この思考の停滞が速読能力の足を引っ張るからなのです。 |
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2 |
逆に、児童書のような平易な文章のほうが1割以上スピードが遅い。 |
どう読み比べてみても、内容は児童書のほうが平易ですから、そんなことは起きようがない気がしますが、実際には起きます。その原因は、普通ならば漢字で表記されている言葉までが平仮名で表記されていることで、部分部分を見てあまり全体を見ない傾向のある左脳型の人は、あまい平仮名が多いと、瞬間的な判断力が鈍ります。多少なりとも児童書のほうが遅かったという人は、自分で左脳型でると考えてください。 |
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心の中での「音読」を捨てる |
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さて、読書速度が分速1,000文字以下だった人は、文章を読解する時に多少なりとも「心の中で、1文字ずつ声に出して確認しつつ読む」という“擬似音読”の読み方をしています。小学生の低学年ほど読書速度が遅いのは、それだけ学校で教科書を読まされるなど、音読の機会が多いからで、ハッキリと声に出して読む音読をした場合は、せいぜい分速300文字から、速くても400文字程度の速度しか、出すことができません。 |
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上級生になるに従って黙読の機会が多くなっていきますが、なかなか音読の習慣から抜け出すことができませんから、音読の習性が影響が強く残っているほど読書速度が伸びないことになります。この擬似音読は、非常に読書速度にブレーキをかけて遅くしてしまいます。分速400文字前後がハッキリと音読した場合の上限で、分速600文字、800文字というような人は平易な言葉は声帯を動かさずに見ただけで通過し、“難解な言葉に合うと声帯を動かして確認して読む、という2通りの読み方をミックスして読んでいるわけです。 |
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しかし、どちらかと言うと前者の擬似音読の比率が高いので、読書速度が出ないのです。速読法では、従来の声帯が連動する黙読に対し、全く声帯を動かさずに目で文字を見ただけで理解をする読み方を「視読」と呼んで区別しますが、視読に切り替えるのが100パーセントは無理でも、90パーセント以上になるように訓練します。 |